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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2008/10/05

色覚バリアフリーについての補足

阪急電鉄さんが色覚バリアフリーに配慮して、時刻表の改善を実施することになったということです。
http://www.asahi.com/kansai/travel/news/
OSK200810030097.html
しかし、ここで、赤と緑の使用をやめるとしているのは、誤報だと思います。私自身も赤と緑の使用を全て中止して欲しいとは求めていません。阪急電鉄さんとしても、赤と緑の使用をなくすという方向には進んでいないはずです。赤と緑の判別がしにくいということからの申入ですから、色調を変更したり、白抜文字の使用やフォントの種別変更などによって、改善が可能なのです。実は、この表現方法については、かなり研究が進んでいます。従って、実際にどのようなデザインにするべきなのかということについては、私のような法律家の出る幕はないのです。このため、私は、具体的にどう改善するべきかということについては、阪急電鉄さんにお任せすることにしました。阪急電鉄さんも、関西私鉄五社で研究会を開かれるなどして、表示方法について研究を進められることになったわけです。
以上の経過で改善が進められることになったということですから、阪急電鉄さんが赤と緑の使用をやめると断定して報道されていることは、誤報ということになります。
なお、私が阪急電鉄さんに申入をしたことに対して、京阪電車の時刻表でも赤と緑が使われているのに、なぜ阪急電鉄だけに申入をするのかというような抗議をされた方がおられました。ただ、私は、京阪電車の時刻表に不便を感じたことはないのです。京都方面では、赤と緑の種別があまり使用されていないこともあるかも知れませんし、大阪からはほとんど特急電車しか乗らないためかも知れませんが、むしろ、京阪電車は、白抜文字や色調の変化などによる区別がかなり徹底していて色覚障害者にもわかりやすいと思っていたことから、京阪に苦情を申し入れようという気持ちになったことは一度もなかったのです。阪急電鉄さんにも、赤と緑を使わないようにしてくれということだけを言いたかったわけではなく、他の色覚障害者の方々も含めて、みえにくい人もみえやすくする工夫してほしいということが訴えたかったわけです。
なぜなら、色覚障害者の色の見え方は、一様ではありませんし、白内障などに伴う後天的な色覚障害の場合、白色と黄色の区別がつきにくい人もいるので、赤と緑だけに配慮すればいいといことではないからです。
これらのことからもおわかりいただけると思いますが、色表現でわかりにくく感じる人にどう対応するかということについては、専門家の判断に委ねた方がいいと私は思っています。私は、このような問題があるということを考えていただくきっかけを提供させていただいただけに過ぎません。今後は、関西地域だけでなく、他の地域でも、色覚バリアフリーに配慮した公共機関での案内表示が広がることに期待したいと思っています。

2008/10/03

色覚バリアフリーのこと

白浜徹朗でググると、阪急電鉄のことがでてくるようです。赤と緑の時刻表表示が色覚障害者にはみえにくいということで人権調整の申立を行ったということが話題になったためです。この申立は、色覚バリアフリーという考えに立脚したものです。10月3日には、京都地方法務局の記者会見が行われたということで、新聞記事にもなりそうですから、おそらく、この問題に関心を持って当事務所のHPを訪問される方も多いと思いますから、色覚バリアフリーについて、お話しさせていただきます。
 色覚バリアフリーという考えは、最近では話題となることが多くなりました。これは、要するに、色覚障害者にもわかりやすい色別表示を広げようとする運動ということができます。色覚障害にもいくつかの種類があるのですが、最も多い色覚障害は、赤と緑の色の区別がつきにくいという色覚障害です。この赤緑の色覚障害者は、黄色人種の場合は男性では20人に1人いるという割合になります。つまり、日本の40人学級だとクラスに1人いるということが多いということになります。この問題がなぜ注目を集めるようになったのかということですが、端的に言って、色を使った表現が飛躍的に増える社会になってきたためだということができると思います。昔は、文字も、墨やインクによる白黒での表現が主流でした。しかし、今や、一般家庭ですら、カラープリンタによる印刷が可能な社会となっています。テレビが白黒であった時代ははるかの昔のことで、今やハイビジョンの時代です。このため、色を使ったプレゼンが広く使われるようになっています。これは、視覚に訴えてわかりやすい表現を実現しています。ところが、このように色を使ったプレゼンが色覚障害者に配慮なしに行われますと、色覚障害者にはかえってわかりにくいものとなってしまいます。教科書でよく使われるグラフとか、地図の色分けなどがわかりにくいのは切実な問題となりますし、地下鉄の路線図などに配慮がないと色覚障害者としては本当に困るのです。そこで、色覚障害者にもわかりやすい表現はどうあるべきかということで、色覚バリアフリーという考えがでてきたわけです。
 実は、日本は、極めて強固な色覚障害者差別が形成されてしまった異常な国です。色覚障害を発見するための検査表は、日本で考案されたものです。徴兵検査などにも使われたようです。この検査表を使って、色覚障害者を早期に発見するようにされただけでなく、大学などの進学でも差別をして入学させなかったり、就職で差別したりすることが当然のように行われてきました。色覚障害は、遺伝によるものなので、結婚差別にもつながることがありました。実際、私も、理系への進学をあきらめて法学部に入学した人間の1人です。相手が色覚障害者だったから婚約を破棄したという話に触れたこともあります。
 しかし、そもそも色覚障害があったとしても、あえて赤と緑を使った区別に接しない限り、日常生活で不便を感じることはほとんどありません。赤と緑の区別も全くできないというわけではありませんし、ましてや白黒の世界がみえているわけではないのです。このため、今では、進学差別はほとんどなくなり、就職差別も、特殊な業種を除いてなくなっています。小学校で広く行われていた色覚検査も行われなくなっています。学校での色覚障害者への配慮については、旧文部省が策定した「色覚問題に関する指導の手引き」があります。就職差別の禁止については、厚労省が策定した下記通達があります。
 http://www.nig.ac.jp/color/monbushou_tebiki_1.html  (指導の手引)
 http://www.jil.go.jp/kisya/kijun/20010622_01_ki/
   20010622_01_ki.html (就職差別禁止の通達)
 ただ、周囲の人にはなかなか理解を得られないこともあるので、色覚障害者の多くは、自分が色覚障害者であることを知られたくないということで、不便を感じても黙っていることが多いように思います。ところが、赤と緑は、光の三原色の一つですから、赤と緑を使った区別は、広く使われているため、ちょっとした配慮不足で困る場面もでてくることが多くなります。例えば、テレビの色ボタンでも赤と緑が使われています。最初は、色覚バリアフリーには全く配慮が欠けていたのですが、私は、この問題について電波産業会がどう考えているのか照会をしたことがあります。この照会の後、規格が改善ざれ、色調に配慮したものが使用されるようになるとともに、リモコンには漢字による表記が付加されるようになっています。東京メトロの路線図も大幅に改善されていて、円のマークの中にMなどのアルファベットが付加されるようになったり、駅番号がつけられるようになっているのも、色覚障害者への配慮です。
 公共交通機関については、平成18年6月には、高齢者・障害者等の移動円滑化の促進に関する法律、すなわちいわゆるバリアフリー新法が公布されて、同年12月には施行され、これを受けて、平成19年7月には、国土交通省によってバリアフリー整備ガイドラインが策定されています。この中で、公共交通機関の旅客施設における表示は、「色覚障害者に配慮し、見分けやすい色の組み合わせを用いて、表示要素毎の明度差・彩度差を確保した表示とする」ことが求められているわけです。私の申入は、このガイドラインを徹底して欲しいというものということになるわけです。
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/01/010726_2/01.pdf
 今回の阪急電鉄への申入で、関西私鉄の中でも研究が行われるようになったということで、阪急電鉄としても改善を行うということですから、色覚バリアフリーの動きがさらに広がることになりました。ちょっとした改善で全く不便を感じなくなることがありますので、この色覚バリアフリーの考えが社会に広く浸透してゆけばいいなと思っています。

2008/10/01

景観について考えてみる

景観問題で、赤と白の壁面でデザインされた楳図かずお氏の自宅をめぐる訴訟が話題となっている。赤白の色調は、日本で古くから存在する色調と思うのだが、景観を害していると主張する人もいるらしい。表現の自由と景観の調和という難しい問題だが、実物の写真をネットでみた限り、割と簡単に決着がつくのではないかと思う。
この点、京都では、景観問題と言うと、イコール高さ規制、という極めて偏った議論が続いている。個人的には、高さを規制するよりも、道路幅を広げたり、公開空地を広げたりして、水平面の視野を広げた方が開放感のある町並みになると私は思っているのであるが、そんな縦か横かという問題よりも、朽ち果てたような家屋があちこちに放置されているということの方が景観上も問題である。実際、建築規制の厳しい京都御所の近辺では、あちこちに危険な木造家屋を発見することができる。この放置の方が景観保護という観点からは、問題である。もちろん、景観保護以前の問題として、危険であるということは言うまでもない。
老朽化した危険な家屋が放置される原因の一つに「朽廃」という法律解釈の問題があるということは、私が何度も指摘していることであり、その解釈論の変更を裁判所に頼っていては遅すぎるということも、何度か指摘させてもらっていることである。
経済政策的にも、このような危険家屋の建替を促進することは内需拡大に役立つし、高齢化社会の到来に備えて住宅のバリアフリー化を推進することにも役立つと思うのだが、いかがであろう。