白浜の思いつき

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続:うなぎの寝床と税金

前回、Wikipediaで江戸時代の町費が間口に応じて決められたためであるとするのは俗説で間違いであると断定されていることを紹介させていただきました。そして、この記述には、その根拠が明示されていないのではないかという疑問を指摘させていただきました。

気になったので、更に調べてみますと、国税庁もうなぎの寝床の形成原因として、間口税があるということを指摘しているようです。すなわち、国税庁のHPの中に、税金に関する豆知識がPDFになっています。

http://www.nta.go.jp/nagoya/shiraberu/gakushu/kyozai02/pdf/12.pdf
そこでは、間口税について、「江戸時代には,間口(家などの正面)の広さで税を課していたところもありました。そのため,今でも京都などには間口が狭く細長い家が多く残っています。」と記述されているのです。

税金の専門家である国税庁が述べていることなので、間口税が原因であるという考え方を間違いと断定することはできないように思えてきました。

国税庁だけでなく、間口税とうなぎの寝床について触れているHPは、税理士さんのものにもいくつかありますが、いずれも間口税がうなぎの寝床の形成につながっているという理解のようです。ちなみに、うなぎの寝床の形成理由について、歴史家や建築家の方が記述したものは発見できていません。

なお、当事務所の本所から歩いて2分ぐらいのところにある京都市歴史資料館では、京都の古い地図が展示されています。これらの地図からも、うなぎの寝床の土地区割ができた年代は推定できるのだろうと思いますが、さすがに、そこまでの調査はできていません。

ただ、私は、うなぎの寝床は江戸時代に形成されたものではなく、むしろ、もっと古い時代から形成されたのではないかと推察しています。以前指摘しましたように、南北朝から室町時代にかけて商人に対して課されていた「屋地子(やじし)」といわれる町年貢がその由来のように思うのです。建物は何度も建て直すことができますが、土地の区割は一度形成されてしまいますと、隣地を巻き込んで再開発をしない限り、大きく変化させることは困難ですから、江戸時代以前に形成された土地の区割がずっと残ってきた可能性はかなり高いと思うのです。

ちなみに、我が事務所のある寺町は、秀吉が寺社を移動させたことからできた町並みです。本来、神社の入り口は南側にあることが多いのですが、寺町通の寺社仏閣は、入り口が西側にあるものが多くなっています。これは、移転が強制された名残らしいです。秀吉の都市計画が現在の京都の町並形成に重要な役割を果たしたことに疑問を差し挟む余地はないと思いますが、寺町の寺社仏閣が西向きであるということは、この都市計画がかなり強引なものであったことを示すエピソードの一つとなるかも知れません。ちなみに、先日、お会いした宮司さんから小さな神棚をいただいたのですが、神さんは明るい方角がお好きなので、南向きから東向きとなるように神棚を飾るようにご指導をいただきました。普段何気なくみていた西向の神社が異例なものであることを改めて思い知らされました。

秀吉が作った町並が今でも残っている京都ですが、私は、都市景観は、市民が作り上げるものであって、行政から強引に強制されるようなものではないだろうと思っています。