白浜の思いつき

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  2012年12月

2012年12月10日

65期の就職状況は、過去最悪では?


今年も二回試験の発表時期=弁護士一括登録の時期が迫ってきました。

PINE's Pageさんや、Schulze BLOGさんも紹介されていますが、どうも昨年と比較すると、一括登録を申し込んでいる人が20名ほど減っているということのようです。この数字は、さほど悪くないように思われる方もおられるかも知れません。しかし、Schulze BLOGさんも指摘されておりますように、この数字は、今年は、現行65期も新65期と一緒に二回試験を受けることになっているということを踏まえて考えねばなりません。法務省が公表しているデータによれば、新65期の修習生数は2,001名で、現行65期の数が73名、合計で2,074名ですが、前回の二回試験の不合格者が56名ですから、単純計算で2,130名ほどが二回試験を受験することになります。ただ、体調不良などで修習を終えることができなかった人や前回の二回試験を回避した人、前回の二回試験で三振して受験資格を喪失した人もいますから、正確な受験者数は、合格発表をみないとわかりません。ただ、昨年までは現行64期(下記のデータによると102名ですが、この現行64期の二回試験の際には、新63期の不合格者も受験していたことを考える必要があります。)は別に二回試験を受けていたことを考えると、新64期と比較して20名減っているということは、65期については、一括登録時点で法曹三者にならない人は、かなり増えることになるのだろうと思います。また、私がみる限り、新64期よりも、即独やノキ弁の増加があり、初任給の低下も進んでいるものと思います。そう考えると、65期の就職状況は、過去最悪で年々ひどくなる一方ということになります。修習生と身近に接する者としては、大変つらい数字です。現場の対応ではどうしようもできない状態にあることは、日弁連上層部にはきちんと理解してほしいと思います。

http://www.moj.go.jp/content/000084022.pdf

2012年12月14日

自主廃業者の増加傾向は更に顕著に


 自由と正義の12月号が届きました。

 弁護士になってから廃業する人が増えているということについて、自由と正義2012年1月号から12月号までの請求退会者を整理した結果について、報告しておきます。

 自由と正義の2012年の1月号から12月号に掲載された請求退会者の合計は、登録番号が3万番以上の人が173名で、昨年の112名から61名増加しました。1万番から3万番未満の人が103名で昨年の101名から2名の増加、1万番未満の人が18名で昨年の16名から2名の増加、合計で294名で昨年の229名から65名の増加となりました。全体の増加率は、約28.4%ですが、3万番以上の方は約54.5%ですから、若い番号の方の退会が急増していることが統計上も、裏づけられたことになります。

 9月号の段階では、全体で300名を上回る勢いだったのですが、最終的には、300名には届かなかったものの、ほぼ300名に近い数字になっていますから、この傾向が落ち着く様子はありませんので、来年には、350名ほどが自主的に廃業するということになりそうです。

 もはや弁護士という職業は資格だけで暮らしが成り立つようなものではなくなったということになるのだろうと思います。近未来予想としては、不祥事に伴う退会命令などによる廃業者が統計的にデータがとれるようなことになるのではないかと心配しています。これまでは、年間数名でしたから、無視していましたが、その統計をするようなことにはならないことを祈ります。

2012年12月21日

65期の就職状況


 二回試験に合格して、司法修習を終えても、法曹三者にならない未登録者が増えてきているということを最初に指摘したのは我が事務所のHPでのコラムですが、最近では、私が集計しなくても、日弁連でマスコミに公表してくれるほどのことになってしまいました。NHKの記事によると、今年は、およそ540名が登録しないということで、4人に1人という割合になっているようです。新63期は214名で比率が約11%、新64期は404名で比率は約20%、今年が約25%ということであれば、統計上も、需給バランスが破綻していることは明らかということになります。

 このように統計上の数字からも、もはや現状の法曹養成制度が政策として失敗していることは明らかです。しかも、この法曹養成制度の「改革」にあたっては、需給予測すら行われていなかったどころか、主要な柱とされた法科大学院制度の輸入元であるアメリカにおけるこの制度の問題点についてもまともな研究が行われていなかったということもわかってきています。更に馬鹿げたことに、日本の法科大学院なるものは、法律家になるための学校なのに、法学部以外からの入学希望者には法律のことは入学試験では問わないまま入学させるとか、司法試験に合格しないと法律家になれないのに試験の指導はしてはいけないなどのおかしな制度にもなっていたわけですが、こんな大学院を、三権の一翼を担う人の養成制度に組み込むということをなぜ許容したのかということが、私には、理解できないところがあります。

 司法修習には膨大な国費がかかっていますし、指導担当の弁護士や裁判官・検察官、弁護士事務所の事務局、裁判所や検察庁の書記官や事務官など、沢山の実務家が関与しています。他方で、この司法修習に費やす国家予算を上回るような補助が法科大学院に費やされています。国の財政事情が厳しい中、このような国費や人的資源の無駄遣いは、早急に改められるべきでしょう。

 なお、修習生の就職難は、統計の問題ではなく、個々の若者の人生に関わる問題です。今年も、細々と履歴書指導などの就職指導をしていますが、個人的な就職支援ではどうすることもできないほど、就職環境が悪化しているのが実情です。法曹養成制度の再検討にあたっては、机上の空論のような議論をするのではなく、個々の若者の顔を思い浮かべた政策議論をしてほしいと思います。また、法科大学院関係者は、国費を受領している団体側の人間であるということを踏まえた取扱をしていただきたいと思います。

2012年12月24日

法科大学院の構造的欠陥


 法科大学院について触れた前回のブログには舌足らずのところがあったかも知れないので、補足します。

 法科大学院は、専門実務家を養成する学校であって、研究を目的とする学校ではありません。この点、医師を養成する医学部では、医師資格を有している人が教えていますが、法科大学院では、法曹資格を有していない人が教育にあたる率が高くなっています。このことで私が問題としたいのは、「見立て」です。医師の場合、病気や怪我の見立てを間違えると命にかかわる問題となりますが、弁護士の場合は、事件の見立てを間違えると、依頼者が権利をなくしたり、大きな損失を被ったり、無駄な弁護士費用を費やしたりすることになります。このような見立ては、現場感覚が大事です。このため、医師の場合、臨床経験が重視され、大学付属の病院で学生が実際の治療現場に接する機会が保証されているはずです。ところが、法科大学院の中には、研究者が自分の興味のあるところを教えたりするだけになっていることもあるようです。研究者として判例を批判することは大事なことですが、実務家たる弁護士の場合、事案に判例理論を適用した場合どうなるかということをまず第一に考え、判例理論が当てはまる場合なのか、完全には当てはまらないとしても、事案の特徴などを踏まえて、判例の基礎となっている考え方や別の理論などで判例と違った結論を導けるかなどを考えた上で、依頼者にわかりやすく説明し、最終的な判断をもらわければなりません。単なる批評家であってはならないわけです。また、研究者であれば、興味のある分野だけに特化した研究が可能でしょうが、弁護士や裁判官の場合には、特定の分野の知識があるだけでは、事件の見とおしを立てることができません。民事事件の場合では、保全や執行までの手続や費用など、実務の総合的な理解も必要です。司法修習が法曹三者全部の研修をさせていることも、それが司法に関わる実務家の養成にあたって重要なことだと法曹三者が一致して考えているからです。このように考えると、実務家の養成には実務家が中心的に関わる必要があって、研究者には実務家養成の仕事は向いていないことがおわかりいただけるはずです。

 また、実務家が作る書面は、訴状や準備書面、判決書など、事案の整理と法的当てはめを第三者や相手方を説得できるようにわかりやすく、コンパクトにまとめて書く必要があります。研究者の作る論文とは全く違います。司法試験の問題も、実務家である裁判官なども関わって作られていますから、事実から法的問題を抽出して、事案の解決方法をわかりやすく記載することが求められるものがほとんどです。実務家は、この文章力を先輩から個別具体的に添削を受けるなどして鍛えられてゆきます。旧司法試験でも、先輩が後輩を指導するなどして、文章力を鍛えていましたが、法科大学院は、試験の指導をしないということで、学生の文章力を鍛える作業を怠っているように私には思えます。法科大学院出身者は弁は立つが筆が立たないと言われていた時期があるのは、この構造的欠陥が原因ではないかと思いますし、法科大学院とは別に予備校に通う学生が増えるのは当たり前のことだと思います。なお、この起案添削は、手間もかかりますから、研究者の方が、研究の片手間に試験の起案指導をすることは、現実的にも不可能だと思います。

 前回のブログで、私は、法科大学院が法的な知識を問わないまま、未習者を受け容れていることを批判しました。法律に無関係な分野から人を受け入れることを目的として、このようなシステムにされたようですが、根本的に間違っていると思います。そもそも実務家を養成するための学校である以上、法律実務家としての資質を問わないのがナンセンスです。東大法学部に入った人でも、司法試験に全員が合格できるわけではなく、むしろなかなか合格できない人も多いように、法律実務家には向き不向きがあります。頭の回転がよかったり知識が豊富であっても、事案の法的な問題点の抽出能力やあてはめなどがうまくできない人はいるのです。このため、人によっては、どれだけ勉強しても、なかなか司法試験の成績が伸びないということがあります。ですから、法律実務家に向かない人は、最初から法科大学院に入学させないということがその人の人生選択を誤らせないことになると思うのです。また、他の分野から参入する人を増やすのであれば、転職のリスクを減らすことが第一なはずです。ところが、現在のような過剰な合格者を供給したままでは、資格を取得したとしても、実務家になれない確率が一般的にも高くなってしまっている上、転職者は年齢などで他の資格取得者よりも就職戦線で不利になってしまうということなどを考えれば、今の職を擲って転職しようとは思わない人の方が増えるのは当たり前です。結果的に、今の法科大学院制度を中核とした法曹養成制度では、他の分野から法律実務家に転出する人は急減しています。これも政策的な失敗だと思います。

 さらに問題だと思うことは、大学院を卒業しないと司法試験を受験できないということで、学生でも有職者でもない無職者を必然的に作り出しているということです。これは、同学年の人が仕事に就いている中、学生に不安定な生活を強いるばかりか、実務家養成機関たる法科大学院が学生の就職などに関わらなくてもよいという無責任体質を醸成することにつながっているように思います。こんな構造的に無責任な体質を有している学校に三権の一翼を担う実務家の養成を委ねるべきではないと私は思います。この点では、法科大学院の卒業資格を司法試験の受験要件としていることが根本的な欠陥だと思います。この要件を外すことは、至急行う必要があると思います。結果的に、法科大学院が、受験予備校と競うことになるのかも知れませんが、法科大学院の関係者が、法曹養成に関わる会議や雑誌などで自らが教育した卒業生の人生設計などを無視した無責任な発言を繰り返しているような現状をみる限り、その方が、学生のためにもなるのではないかと思います。