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弁護士法人 白浜法律事務所

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白浜の思いつき
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2009/10/22

時代祭で馬に乗る

10月22日の時代祭で、居住地域の関係で、藤原時代の武官の役割で馬に乗るという経験をしました。このブログの趣旨からは全くずれたテーマではありますが、めずらしいと思いますから、一応、載せてみることにしました。なお、素人のため、一部誤解があるかも知れませんので、ご容赦ください。
時代祭(地元の人は、「じだいさい」と呼んでいます。)は、平安遷都1100年を記念して、平安神宮が創建されたときから始まったお祭ですが、私の居住地域では藤原公卿参朝列を担当しているということになっています。この朝列は、御所近辺の9つの学区で持ち回りということになっていますが、今年は9年ぶりに、私の居住地域の学区が当番となりました。馬に乗るのは3人で、文官、武官、殿上人となっています。このうち、私は、武官という役回りを仰せつかりました。
時代祭は、時代考証を経て設定されているため、色々な資料も整っています。私もこの資料をいただきましたので、勉強の機会を与えてもらいました。その資料によりますと、文官(「もんがん」と呼びます。)の公卿は三位の大納言、武官の公卿は四位の参議で左近衛中将を兼ねている、殿上人は清涼殿の昇殿を許された五位の文官という設定となっているようです。
着付は、衣紋という装束の着用法に従って、まず、下着である大小の白小袖2枚に袖をとおし、赤い袴を履き、緋色のような上着を何枚か羽織って、再び白っぽい袴をつけて、チョッキのような袖のない上着を着け、最後に袍と呼ばれる装束を着ます。袍の袖は、腕の長さの2倍近くありますが、それを折りたたんで着こなすようになっていますので、身長に関係なく着ることができます。袍の色は、文官も武官も同じ黒色ですが、殿上人は緋色となっています。風を通しやすくなっていて、かなり固い感じの衣ですが、絹製ということでした。女性の十二単のような重ね着となりますから、かなりの重さになりますし、腰を帯などでしっかりと締めますから、窮屈でもあります。ちなみに、時代祭の間は、トイレができません。文化財のような衣装ですから、汚さないようにも気を遣います。足下は、二股の白足袋に革製の靴を履きます。ゆったりとした靴ですが、不思議と脱げません。刀は、剣は外されているようですが、宝飾も施されていて価値が高いものらしく、取扱を注意するように言われました。武官は、元々の設定では背中に弓矢を背負うことになっているのですが、時代祭では、素人が馬に乗るということに配慮されているため、実際には背負わなくてもよいということになっていました。手元には、聖徳太子が持っているような芴(しゃく)を持つことになりますが、この芴は、普段は懐に入れておき、平安神宮での拝礼の際、2礼2拍手1礼の礼のときに持つことになります。正式な持ち方は、右手の人差し指から薬指までの3指と親指と小指の2指で挟んで持ち、左手で同様に支えるというものです。なお、文官と武官が座る椅子には豹の毛皮、殿上人の座る椅子には虎の毛皮を敷いてあります。馬の鞍は、いずれも倭鞍(やまとぐら)です。
藤原時代には随身や童などの人たちもおられますので、皆で写真撮影をすると、リアルひな祭りのような感じになります。
馬は、温和しい馬が選ばれているのですが、私の乗った馬は、落ち着きがなく困りました。手綱は持っても、素人が馬を操れるはずもありませんし、どうも馬の方も素人が乗っているのがわかるようです。持ち手の方にはご迷惑をおかけしたのかも知れません。なお、刀を差している関係で、バイクのように左から乗るのではなく、馬の右側から乗ります。馬に乗る人は、淀の競馬場のそばにある練習場で何度か練習することができます。引かれた馬に乗るだけの練習ですが、素人からすれば、練習をしていても怖いぐらいなので、2度ほど練習していた方が無難です。
時代祭の本番は、午後からですが、午前中はそれぞれの地元を回ります。私の場合は、裁判所や弁護士会館の前も通りました。皆さん、お仕事をされていますから、あまり気づいてくれる人はいませんでした。
午後からの本番は、乗る時間が長いので、素人にはつらいところがあります。途中で膝がおかしくなりました。なお、藤原時代の公卿3名は、お祭りの最後の祭礼に参加して、平安神宮で拝礼をすることになっています。
平安神宮がメインとなるお祭りですが、お祓いなどは、地元の神社でも行います。自治会が重要な役割を果たしていますし、ボランティアの方も大変です。知事や市長も参加するので、京都市民が広く関わるお祭りということになります。私は馬に乗せてもらっただけですが、関連する各種行事などを運営する皆様は、大変だったと思います。これまでは観光客のような気分でしか接したことのなかったお祭でしたが、今回参加させていただいたことで、裏方の皆様のご苦労もわかり、この齢になってようやく京都市民になったような気がしました。

2009/10/21

修習生の就職戦線の厳しさに思う

修習生の就職戦線が厳しいことについては、このブログで何度も取り上げているテーマです。一般の大卒者の内定率よりも、司法修習生の内定率の方が厳しいという数値がでているというのは、私が分析した現行62期の就職結果に関するブログでも指摘しているところでもあります。
他方で、採用する側の弁護士事務所としても、これまでの感覚で採用を決めて、弁護士として活動してもらったところ、法的な素養が不足していたり、事務処理能力にも問題があったりなどすれば、事務所としての信用にダメージを受けますから、採用について熱心なところほど、修習生側に色々な資料を提出させたり、2次面接、3次面接などの課程を経て内定者を決定するということになってきているということも事実です。このため、修習生側は、司法試験合格後も、様々なセレクトを受けるということになってしまっています。
この結果、修習生側も、精神的に余裕がなくなっているようで、例えば、サマークラークで採用されなかったらその事務所で採用される可能性がないと決めつけてしまうとか、地方の修習地となったら都市部で採用されにくくなるのではと悩んでしまうとかの消極指向の心理の渦に陥っているように思います。採用する側としては、そんなことで採用の幅を狭めてしまうわけはないので、修習生側が、わざわざ自分の進路選択を狭めてしまっているのは、一般大学生と比較した場合のプライドの高さなどが原因なのかも知れないなと思ったりもしますが、いずれにしても、私が修習生の頃とは様変わりしているわけで、こんな法曹養成制度ができてしまったことによる最大の被害を受けているのが修習生というように思います。こんなことで、変に自信をなくしてしまうような人が法曹となっていくような状況は、日本という国全体にとってあまり好ましいことではないように思います。ですから、うちの事務所の場合、不採用とする場合でも、できるだけ丁寧なメールをするようにして、事務所に関心をもって訪問していただいた方が自信をなくしたりしないように心がけています。
せっかく苦労して試験に合格したのですから、いい事務所がみつかるように、みんな前向きにがんばってほしいなと思います。

2009/10/12

法曹を志す人が減ってしまうという現状

平成21年現在は、法曹となるためには、ロースクールに入って新司法試験を受けるか、従来とおりの旧司法試験を受けるかという2つの道があります。このうち、旧司法試験については、廃止されることが決まっていて、司法試験法及び裁判所法の一部を改正する法律(平成14年法律第138号)附則第7条第1項によると、旧司法試験は、平成22年で終わることになります(但し、正確に言うと、平成23年に、平成22年の口述試験不合格者への再試験が残ります。)。もっとも、旧試験の合格者数は、減らすことが予定されていて、平成21年は100人程度(実際の論文式の合格者数が101人)を、同22年はその前年よりも更に減少させることを一応の目安とされていますので、現状では、法曹となる道は、ロースクールを経て新司法試験に合格するというルートに事実上限定されたことになっています。
http://www.moj.go.jp/SHIKEN/answer.html#20
ところが、ロースクールを受験しようとする人は確実に減っています。法科大学院適性試験を実施している大学入試センターの統計によると、同センター経由での平成21年のロースクールへの受験者数は、ついに1万人を割り込んだようです。
http://www.dnc.ac.jp/houka/21/pdf/kekka.pdf
平成20年は、1万2千人近くいたわけですから、2千人以上減少しています。
http://www.dnc.ac.jp/houka/20/pdf/kekka.pdf
ちなみにこれまでの志願者数を整理すると、以下のとおりです。まさに毎年減少しています。最初にピークが来てしまった感じです。平成21年は、平成15年と比較すると3分の1に減少してしまっています。
志願者数 受験者数
平成21年 10,282  9,360
平成20年 13,138 11,842
平成19年 15,937 14,273
平成18年 18,450 16,630
平成17年 19,859 17,798
平成16年 24,036 21,344
平成15年 31,301 28,340
ちなみに、ロースクールに入学するもう一つの道である日弁連法務研究財団による法科大学院統一適性試験についても、平成15年に志願者総数が20,043人(実受験者数18,355人)あったものが、平成21年には志願者総数は8,547人(実受験者数7,737人)に減少しています。
http://www.jlf.or.jp/tekisei/3kekka_ten.shtml
http://www.jlf.or.jp/tekisei/pdf/2009heikin.pdf
旧試験の出願者は、平成15年がピークで5万人を超えていたことを考えると、法律家になろうと思っている人が確実に減ってきているように思います。
http://www.moj.go.jp/SHIKEN/dainiji_result21/091009-1/02.pdf
合格しても、就職できるかどうかもわからない資格試験では魅力に欠けることは当然でしょうし、ロースクールの学費などを考えると、受験にかかる費用などの負担が大きすぎるということが敬遠される原因になっていることは明らかでしょう。
しかしながら、法律家の仕事は、周りにいる困っている人を助けたりする身近な仕事ですし、やりがいもある仕事です。決して金儲けのためにやるような仕事ではありませんが、若い人からそっぽを向かれてしまうような魅力に欠けた仕事ではありません。ただ、間違ったアドバイスは更に被害を拡大してしまうことにつながりますから、そこそこ能力のある人がなってもらわないと国民が迷惑することも確かです。そんな中、受験生が減っているということは、担い手が減って、質の低下に更に拍車がかかるのではないかと思えてきます。
私は、社会的需要や合格後のトレーニングのあり方なども無視して、拙速に合格者を増やしたつけが回ってきているのではないかと思います。現状を今一度冷静に見直してみることが必要になってきているように思えてなりません。

2009/10/08

逆転無罪

本日10月8日は、Winny事件の控訴審判決で、金子さんはみごと無罪となりました。ご支援いただきました皆様には、厚く御礼申し上げます。私は、実のところ、控訴審ではあまり弁護活動ができておりませんでした。秋田団長、壇事務局長のお力には感服するところです。
控訴審の事実認定には、多少不満なところもありますが、Winnyが価値中立なソフトであると認定し、そのような価値中立のソフトを提供した場合の幇助犯の成立の要件としては、原審判決のように違法行為に利用されるということの認識認容というような曖昧な要件ではなく、違法な用途に使うことを勧めていることまでが必要としたことで、ソフト開発者に幇助犯が成立する場合を厳しく限定したことは高く評価されてもよいと個人的には思っています(誤解なきよう申し添えますが、これは弁護団としての見解ではございません。)。
これまで、ソフトが悪用された場合に責任を問われることを恐れて、ソフト開発に躊躇していた開発者の方も多かったかも知れません。そのような開発者心理が影響して、日本のソフト開発が大きく遅れてしまったことは否めないと思います。
しかしながら、資源を持たない日本が生き残るためには、科学技術の発展にしか活路はないように思います。そのためには、自由なソフト開発環境が保障される必要があります。Winnyのような新しい(残念ながら「当時は」という限定がついてしまいますが)技術について、国会での民主的な審議を経ることなく、ましてや政策立案に関与するような立場にもなかった捜査機関が、ソフト開発者をいきなり逮捕するというようなことは、民主的な国家では本来許されるべきではないことです。
政権も交代したところですから、このような暴挙が再び行われることのないよう、自由なソフト開発環境を守るための法的な整備も行われる必要があるように思います。