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2010/08/27

歴史を疑ってみる

最近読み終えた本に、講談社学術文庫の「信長の戦争」という本があります。藤本正行さんが書かれた本です。
 信長は、桶狭間の戦いで、今川義元を奇襲して討ち取って、天下取になってゆくというのが、一般的に信じられていることですが、実は、桶狭間の戦いが奇襲戦であったということが書かれているのは、後に書かれた小説である甫庵信長記ぐらいのもので、信長に従軍していた太田牛一が書いた信長公記によると、信長は、正面から攻撃したと記述されているようなのです。また、桶狭間は低地で信長軍が駆け下りて義元を襲うというイメージがありますが、どうも義元が高い位置に陣取っていて、信長側が駆け上がったということのようですから、義元側は、信長軍の動きがわかっていた、つまり、奇襲ではなかったということになります。このとき今川側だった徳川の三河物語でも、義元が高い位置に布陣していたことが書かれているようです。
 要するに、実際に従軍した者が書き残したものには奇襲とは書かれていなかったのに、少数が多数を倒すとすれば奇襲しかないということでストーリーを練り上げた小説がいつの間にか歴史的事実になってしまったということのようです。
 長篠の戦いも、武田の騎馬軍団が、信長の鉄砲隊の三段撃に敗れ去ったということで、鉄砲に戦争の武器の主役が移った戦いというので歴史的に有名ですが、信長公記には、三段撃ちのことは書かれていません。三段撃ちも、小説である甫庵信長記の創作のようです。よく考えると、武田の騎馬隊も、鉄砲が一斉に構えられているようなところに突っ込んでゆくはずがないのです。両陣営は、川を挟んで対峙していたようで、騎馬隊が動きやすそうな平原で戦いが行われたわけでもないようです。要するに、柵で突撃ができないようにしている陣地に攻撃を仕掛けた武田軍が、陣地内に隠れていた圧倒的な数の鉄砲隊の前に崩されて撤退するということが何度か繰り返されて、最終的には武田軍が崩れていったということが真相のようです。日露戦争のときの日本軍の旅順攻撃のように、鉄砲の弾幕に突撃して敗退したというイメージです。このときは、京都の長岡に城を持っていた細川藤孝の鉄砲隊も参加していたようですから、信長としては、とにかく鉄砲を集めるだけ集めての物量作戦で武田軍の一挙殲滅を図ったというところでしょうか。鉄砲で勝ったというところでは歴史的な戦いと言えるのでしょうが、三段撃ちで勝った戦いということではなさそうです。
 三段撃ちというと、何となくすごいし、あの武田軍がなぜ敗れ去ったのかという疑問を消し去ることのできる新戦術が天才信長によって編み出されたということになれば、わくわくするような物語にもなりますから、これも甫庵信長記の小説としてのストーリー構築がうまかったということでしょう。
 以上、歴史も、創作されていることがあるということですが、裁判にも同じようなことがあります。事実とは違うストーリーでも、なるほどと思わせることができれば勝つこともあるし、逆に変なストーリーに裁判官が乗ってしまって負けることもあるわけです。特に裁判官の中には勝手にストーリーを練り上げてしまう人もいるので困ることがあります。刑事裁判の検察官調書に創作があるということは、村木局長事件で話題になっていますが、ストーリーさえできれば、裁判官に信じられてしまうことがあるというのが、日本の裁判の怖いところです。
 要は、弁護士であれば、みんなが疑わないものでもまずは疑ってみる、疑いの余地のないような確実な証拠や事実から主張を組み立てるとともに、みんなに受け容れやすいわかりやすいストーリーを構築して主張することが大事だということになるように思います。