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弁護士法人 白浜法律事務所

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2008/10/23

神社の老朽化

京都は、寺社仏閣が多い街ですが、私には、神社の老朽化が目立ってきているように思えます。
著明な寺院は、拝観料をもらわれているところが多いため、お庭の手入れなども行き届いていますが、神社では、著明なところでも拝観料をもらわれているところはないので、お賽銭やご祈祷、建築の安全祈願祭などからの収入に頼られていることになります。このため、著明とは言えないような神社は厳しい経営を強いられていることになっているのではないかと思います。
神社は、そのほとんどが重厚な瓦屋根で、建物の自重、特に屋根部分の重さが大きい上、壁が少なくて柱だけで建物を支える構造になっているものが多いため、老朽化が進行すると、建物の崩壊の危険性が高まることになります。
これは、おそらく、京都だけの問題ではなく、全国的な問題なのだろうと思います。特に過疎地域では、信者の減少もあるはずですから、余計に厳しい経営を強いられているのではないかと思います。先日、私が佐賀県の田舎に帰省したときに、地域の神社に立ち寄ったのですが、参拝客もおられず、寂れているような印象を受けました。小さい頃のお祭りの思い出を考えると、昔日の感があり、寂しい思いをしました。
各地の神社には、地域の信仰を支えてきた貴重な歴史的文化財も多いはずですから、神社建築の保護のため、国や公共団体からの支援も含めた議論が必要な時期に来ているように思います。

2008/10/20

気になる裁判官の癖など

裁判官は、法廷の主催者なので、あまり裁判官に意見をもの申す人はいません。弁護士もしかりであって、苦情を言う弁護士は少ないと思います。裁判への影響を考えるためです。しかし、弁護士しか裁判官に面と向かって文句を言える立場にある人間はいないわけですから、私は、たまには抗議をしたりします。ただ、国家権力の行使者に対して、弁護士としてやれることは限られています。どんなことをしたかは、ブログなどで公表するものではないので、ここでは差し控えさせていただきます。でも、そんな伝家の宝刀を抜くようなような事態はまれですから、大抵の裁判官は、多少変なことをしていても、弁護士からスルーされているわけです。
最近、私が気になっているのは、あごに手をあててしゃべる裁判官が増えてきていることです。法廷の裁判官席は、高いところにありますから、裁判官は、上から当事者を見下げているわけですが、その裁判官があごに手をあてながらしゃべってくるとなると、素人である当事者はあまり良い印象を持たないのではないかと思います。実際、ある若手の裁判官は、ひじをついて手であごをなでながら証人を尋問する癖があり、あれでは尋問を受けている証人は、かなり気分を害するのではないかと思ったりしたことがあります。丁寧に記録を読んでおられる裁判官でしたし、尋問の内容もおかしなものではなかったのですが、弁護士としてはクレームはいいにくいので、そのままにしてしまいました。どこかでトラブルにならなければいいのですが。
また、いつもニコニコしている裁判官もおられますが、ニコニコしながらきついことを言われると、人の不幸を楽しんでいるのではないかと感じることがあります。きついことは、にやつかずに話して欲しいと思います。実際、私が不快に思った裁判官は、きつい判決を書く人でした。死産に関わる事件で結果論だと書かれたのですが、結果論と言う言葉を書くのであれば裁判官など不要だと言いたくもなりました。当事者は、結果をみて納得できないから裁判を申し立てているわけですが、その心情を全く理解できていない心の通わない判決の典型だったなと思っています。
語尾がはっきりしない裁判官も困りものです。弁護士相手ならまだ推測で理解できるところはありますが、素人相手にもごもご話されている裁判官をみると、この裁判官は今後ちゃんとやっていけるのだろうかと思ったりすることがあります。
癖とは言えないけど、ひどいのは尋問途中で眠ってしまう裁判官です。私は、寝ているのを発見して、裁判官席に近づいて尋問したことがあります。その裁判官は、陳述書という証人調に代わる書類の提出を認めず、自分の目の前で調べたものしか証拠としては認めない裁判官だったので、私としては、怒り心頭に発する思いでした。
いずれにしても、裁判官の癖のようなもので目につくものについては、小さな段階で当該裁判官が気づいてもらえるような制度が必要なように思います。トラブルとなった後では遅いと思うのです。これを裁判官の独立を維持しながらどう実現するのかということは難しい問題です。裁判官を上から抑えつけるのは自由な社会の危機につながりますので。

2008/10/16

やはり一般市民が被害者となりつつある景観政策

京都市の景観政策が、京都市内の建築に重大な悪影響を与えているという客観的なデータがでてきていることについては、以前にエントリーしたとおりですが、建築コストの増大と建物が完成するまでにかかる時間がやたらに長くなっていることが、市民に経済的な打撃を与えているということが実感されるようになってきているようです。本日のアサヒ新聞の夕刊では、「京都市「新景観政策」に不動産・建設業界から悲鳴」という題の記事が掲載されています。
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK200810160058.html
この記事には、なぜ屋根が灰色だとだめなのかと言われている主婦の方の声が載せられています。私は、このような過度の規制は、京都市というお上による表現の自由の侵害ではないかと思います。京都市内にスペイン風の建物を建築しても本来自由だと思いますし、赤煉瓦の屋根の建物なんて、すてきではないかと思います。しかも、このような規制が原因となって建築に時間がかかるということは、金利負担や工事中の代替住宅の賃料等の負担が増大しますし、特殊な建材が必要となれば、建築コストも増大することになりますから、この規制は市民の経済的利益の侵害という側面も持っています。この記事では、規制がなければ300万円でできた補修が1200万円にふくらんで断念された方の例も紹介されています。こうなると、空き家とか、倒壊寸前の建物の増大を招くこととなり、景観も悪くなるどころか、危険な町並みを作り出すことになります。
この記事では、08年の新設住宅着工戸数が前年の約半分となったということも紹介していますが、これは、地元の建設業界が死活的な問題に直面していることを意味しています。
京都市は、倒産に追い込まれた人や資産が大幅に目減りしたような人に対して、きちんとした補償を行うなどして責任をとるべきでしょうが、この記事によると、景観が整って京都の価値が高まれば、経済が活性化するなどと言っているようですから、全く責任を感じていないようです。しかし、そんな景観が整うはずもなく、景観が形成される前に町全体の老朽化が急速に進行することは必至ですし、奇跡的に京都市の言うような整った景観ができたとしても、それは50年以上先のことでしょう。その頃に、今現在生きている京都市民のほとんどはこの世にいないということになるはずです。一体誰のための政策なのでしょうか。京都市はもっと謙虚に被害者の声を聞くべきだと思います。

2008/10/14

空き家率の高い地域が発生していることをどう考えるか

10月13日の京都新聞の22面によると、東山区は、空き家率が高い地域ということのようです。このことは、統計調査から裏付けられてもいるようです。空き家の中には老朽化が進んでいるところも多いとのことであり、「倒れるときのことを考えると、怖くてたまらない。」との声もあるとのことです。
このような空き家の増加について、建替が難しいことが指摘されていて、京都市もそのことを認めているようです。
http://www.city.kyoto.lg.jp/higasiyama/cmsfiles/contents/0000020/20120/akiya.pdf
東山区は、歴史的な建物も多いし、町並みそのものが観光資源となっていることから、都市環境形成のための政策立案には難しい問題があることは間違いないのですが、私は、このような事態が生じている原因は、この町並みそのものに遠因があるように思います。つまり、隣地境界ぎりぎりに建築された木造家屋がうなぎの寝床のような細長い敷地に建築されているという現状です。私は、火災の際の類焼の危険性の高い木造家屋を隣地ぎりぎりに建築するということは、本来許されるべきではないと思っています。阪神大震災のような地震に伴う火災の発生などの場合には、大きな被害が発生することが予想されるからです。加えて、東山区の場合、路地を通じないと建物にたどり着けないところも多いわけですが、このような建物は、現状の建築基準法では、間口制限などにひっかかって再建築ができない場合がほとんどということになりますし、狭い敷地で隣地から距離をとるとなると、細長くて住居としては使いにくい建物しか建たないということもあって、空き家が増える現象を生じさせているのではないかと思うのです。
逆転の発想ですが、私は、このような状況の打破には、細長い敷地をいくつかまとめて広い敷地とした場合には、建築制限を一部緩和することにして、建替を促進するようにした方がいいのではないかと思います。これは、京都市の新景観政策に反対する運動の中で出会った人の言葉から得た発想です。すなわち、「土地も高くなってきたら、固定資産税も高くなって、土地を売ってでていかないかんようになるけど、私ら、この町が好きなんやから、みんなで住めるように、土地をまとめて共同してマンション建てるようにしたんや。」という言葉です。都市が都市として発展していく中で、高層化が進行していくということは、どんな都市でもみられることです。そんな中で、その都市に住み続けるとすれば、土地を互いに提供してマンションを建築するということは、住民としての一つの知恵です。実際、祇園祭の担い手として、マンション住民は重要な役割を果たすようになってきているなど、京都の都市としての発展は、マンションを抜きにしては考えることができませんし、古くからの住民と新しい住民との交流の中で新たな京都が作られつつあるのです。
なお、この方は、「大文字のときは周りの人をお呼びしたりしてますんや。」ということも言われていました。私自身も、前の事務所の大家さんのビルでの屋上パーティーに招かれたりしていますし、他にも同様のことをやっている人を知っていますから、高い建物を建てた人が周囲を気遣うというのは、京都人の中にはよくみられることだと思います。そんな地道なことから、古い町並みと新しい建物との調和が作り出されていっているのが京都なのです。京都市という自治体が上から規制だけを押しつける手法は余りにも乱暴ですし、その政策が、上記のような空き家の増加という現象を食い止めることにはつながっていないことは、私には皮肉なように感じます。
しつこいようですが、建築規制を強化すれば良好な景観や都市環境が形成されるというのは、偏った考えであると私は思います。建物の新陳代謝も促す政策を住民の総意で作り出す必要があるのです。

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