白浜の思いつき

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  2008年10月

2008年10月01日

景観について考えてみる

景観問題で、赤と白の壁面でデザインされた楳図かずお氏の自宅をめぐる訴訟が話題となっている。赤白の色調は、日本で古くから存在する色調と思うのだが、景観を害していると主張する人もいるらしい。表現の自由と景観の調和という難しい問題だが、実物の写真をネットでみた限り、割と簡単に決着がつくのではないかと思う。
この点、京都では、景観問題と言うと、イコール高さ規制、という極めて偏った議論が続いている。個人的には、高さを規制するよりも、道路幅を広げたり、公開空地を広げたりして、水平面の視野を広げた方が開放感のある町並みになると私は思っているのであるが、そんな縦か横かという問題よりも、朽ち果てたような家屋があちこちに放置されているということの方が景観上も問題である。実際、建築規制の厳しい京都御所の近辺では、あちこちに危険な木造家屋を発見することができる。この放置の方が景観保護という観点からは、問題である。もちろん、景観保護以前の問題として、危険であるということは言うまでもない。
老朽化した危険な家屋が放置される原因の一つに「朽廃」という法律解釈の問題があるということは、私が何度も指摘していることであり、その解釈論の変更を裁判所に頼っていては遅すぎるということも、何度か指摘させてもらっていることである。
経済政策的にも、このような危険家屋の建替を促進することは内需拡大に役立つし、高齢化社会の到来に備えて住宅のバリアフリー化を推進することにも役立つと思うのだが、いかがであろう。

2008年10月03日

色覚バリアフリーのこと

白浜徹朗でググると、阪急電鉄のことがでてくるようです。赤と緑の時刻表表示が色覚障害者にはみえにくいということで人権調整の申立を行ったということが話題になったためです。この申立は、色覚バリアフリーという考えに立脚したものです。10月3日には、京都地方法務局の記者会見が行われたということで、新聞記事にもなりそうですから、おそらく、この問題に関心を持って当事務所のHPを訪問される方も多いと思いますから、色覚バリアフリーについて、お話しさせていただきます。
 色覚バリアフリーという考えは、最近では話題となることが多くなりました。これは、要するに、色覚障害者にもわかりやすい色別表示を広げようとする運動ということができます。色覚障害にもいくつかの種類があるのですが、最も多い色覚障害は、赤と緑の色の区別がつきにくいという色覚障害です。この赤緑の色覚障害者は、黄色人種の場合は男性では20人に1人いるという割合になります。つまり、日本の40人学級だとクラスに1人いるということが多いということになります。この問題がなぜ注目を集めるようになったのかということですが、端的に言って、色を使った表現が飛躍的に増える社会になってきたためだということができると思います。昔は、文字も、墨やインクによる白黒での表現が主流でした。しかし、今や、一般家庭ですら、カラープリンタによる印刷が可能な社会となっています。テレビが白黒であった時代ははるかの昔のことで、今やハイビジョンの時代です。このため、色を使ったプレゼンが広く使われるようになっています。これは、視覚に訴えてわかりやすい表現を実現しています。ところが、このように色を使ったプレゼンが色覚障害者に配慮なしに行われますと、色覚障害者にはかえってわかりにくいものとなってしまいます。教科書でよく使われるグラフとか、地図の色分けなどがわかりにくいのは切実な問題となりますし、地下鉄の路線図などに配慮がないと色覚障害者としては本当に困るのです。そこで、色覚障害者にもわかりやすい表現はどうあるべきかということで、色覚バリアフリーという考えがでてきたわけです。
 実は、日本は、極めて強固な色覚障害者差別が形成されてしまった異常な国です。色覚障害を発見するための検査表は、日本で考案されたものです。徴兵検査などにも使われたようです。この検査表を使って、色覚障害者を早期に発見するようにされただけでなく、大学などの進学でも差別をして入学させなかったり、就職で差別したりすることが当然のように行われてきました。色覚障害は、遺伝によるものなので、結婚差別にもつながることがありました。実際、私も、理系への進学をあきらめて法学部に入学した人間の1人です。相手が色覚障害者だったから婚約を破棄したという話に触れたこともあります。
 しかし、そもそも色覚障害があったとしても、あえて赤と緑を使った区別に接しない限り、日常生活で不便を感じることはほとんどありません。赤と緑の区別も全くできないというわけではありませんし、ましてや白黒の世界がみえているわけではないのです。このため、今では、進学差別はほとんどなくなり、就職差別も、特殊な業種を除いてなくなっています。小学校で広く行われていた色覚検査も行われなくなっています。学校での色覚障害者への配慮については、旧文部省が策定した「色覚問題に関する指導の手引き」があります。就職差別の禁止については、厚労省が策定した下記通達があります。
 http://www.nig.ac.jp/color/monbushou_tebiki_1.html  (指導の手引)
 http://www.jil.go.jp/kisya/kijun/20010622_01_ki/
   20010622_01_ki.html (就職差別禁止の通達)
 ただ、周囲の人にはなかなか理解を得られないこともあるので、色覚障害者の多くは、自分が色覚障害者であることを知られたくないということで、不便を感じても黙っていることが多いように思います。ところが、赤と緑は、光の三原色の一つですから、赤と緑を使った区別は、広く使われているため、ちょっとした配慮不足で困る場面もでてくることが多くなります。例えば、テレビの色ボタンでも赤と緑が使われています。最初は、色覚バリアフリーには全く配慮が欠けていたのですが、私は、この問題について電波産業会がどう考えているのか照会をしたことがあります。この照会の後、規格が改善ざれ、色調に配慮したものが使用されるようになるとともに、リモコンには漢字による表記が付加されるようになっています。東京メトロの路線図も大幅に改善されていて、円のマークの中にMなどのアルファベットが付加されるようになったり、駅番号がつけられるようになっているのも、色覚障害者への配慮です。
 公共交通機関については、平成18年6月には、高齢者・障害者等の移動円滑化の促進に関する法律、すなわちいわゆるバリアフリー新法が公布されて、同年12月には施行され、これを受けて、平成19年7月には、国土交通省によってバリアフリー整備ガイドラインが策定されています。この中で、公共交通機関の旅客施設における表示は、「色覚障害者に配慮し、見分けやすい色の組み合わせを用いて、表示要素毎の明度差・彩度差を確保した表示とする」ことが求められているわけです。私の申入は、このガイドラインを徹底して欲しいというものということになるわけです。
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/01/010726_2/01.pdf
 今回の阪急電鉄への申入で、関西私鉄の中でも研究が行われるようになったということで、阪急電鉄としても改善を行うということですから、色覚バリアフリーの動きがさらに広がることになりました。ちょっとした改善で全く不便を感じなくなることがありますので、この色覚バリアフリーの考えが社会に広く浸透してゆけばいいなと思っています。

2008年10月05日

色覚バリアフリーについての補足

阪急電鉄さんが色覚バリアフリーに配慮して、時刻表の改善を実施することになったということです。

http://www.asahi.com/kansai/travel/news/
OSK200810030097.html

しかし、ここで、赤と緑の使用をやめるとしているのは、誤報だと思います。私自身も赤と緑の使用を全て中止して欲しいとは求めていません。阪急電鉄さんとしても、赤と緑の使用をなくすという方向には進んでいないはずです。赤と緑の判別がしにくいということからの申入ですから、色調を変更したり、白抜文字の使用やフォントの種別変更などによって、改善が可能なのです。実は、この表現方法については、かなり研究が進んでいます。従って、実際にどのようなデザインにするべきなのかということについては、私のような法律家の出る幕はないのです。このため、私は、具体的にどう改善するべきかということについては、阪急電鉄さんにお任せすることにしました。阪急電鉄さんも、関西私鉄五社で研究会を開かれるなどして、表示方法について研究を進められることになったわけです。
以上の経過で改善が進められることになったということですから、阪急電鉄さんが赤と緑の使用をやめると断定して報道されていることは、誤報ということになります。
なお、私が阪急電鉄さんに申入をしたことに対して、京阪電車の時刻表でも赤と緑が使われているのに、なぜ阪急電鉄だけに申入をするのかというような抗議をされた方がおられました。ただ、私は、京阪電車の時刻表に不便を感じたことはないのです。京都方面では、赤と緑の種別があまり使用されていないこともあるかも知れませんし、大阪からはほとんど特急電車しか乗らないためかも知れませんが、むしろ、京阪電車は、白抜文字や色調の変化などによる区別がかなり徹底していて色覚障害者にもわかりやすいと思っていたことから、京阪に苦情を申し入れようという気持ちになったことは一度もなかったのです。阪急電鉄さんにも、赤と緑を使わないようにしてくれということだけを言いたかったわけではなく、他の色覚障害者の方々も含めて、みえにくい人もみえやすくする工夫してほしいということが訴えたかったわけです。
なぜなら、色覚障害者の色の見え方は、一様ではありませんし、白内障などに伴う後天的な色覚障害の場合、白色と黄色の区別がつきにくい人もいるので、赤と緑だけに配慮すればいいといことではないからです。
これらのことからもおわかりいただけると思いますが、色表現でわかりにくく感じる人にどう対応するかということについては、専門家の判断に委ねた方がいいと私は思っています。私は、このような問題があるということを考えていただくきっかけを提供させていただいただけに過ぎません。今後は、関西地域だけでなく、他の地域でも、色覚バリアフリーに配慮した公共機関での案内表示が広がることに期待したいと思っています。

2008年10月06日

電子内容証明郵便は、欠陥商品?

電子内容証明郵便というシステムは、わざわざ郵便局にいかなくても内容証明郵便が発送できるので、便利です。このため、我々弁護士もよく使っています。しかし、この渋滞が頻繁に生じていることは意外と知られていません。実は、使用する時間によっては、28時間待ちとか、40時間待ちになってしまう事態が頻繁に生じています。
このため、私の事務所では、内容証明郵便については、急ぐ事件では電子内容証明郵便は使わないようにし、電子内容証明郵便を使うのは少し遅くなっても構わない事件に限ることにした上で、電子内容証明郵便を使うとしても必ず待ち時間を確認することを徹底するようにしています。「急がないようなら電子でもいいですか。」、「今、※※時間待ちですけど、郵便局走りますか。」というのは、うちの事務所の合い言葉になりつつあります。遅れる原因については公表されていないのでわかりませんが、郵政民営化となってもこのようなことでいいのかと思ってしまいます。他の企業が渋滞のない電子内容証明郵便を市場に送り出してくれたら、利用者が増えるのではないかと思います。
なお、このことを知らない弁護士も大勢いるのだろうと思います。事務的なことは、事務員さん任せにしてほったらかしという弁護士の方が多いというのが、この業界の実情だからです。でも、時効などが問題となる事例の場合、この郵便を使ってアウトということになってしまったら、完全な弁護過誤になると思います。この点は、年末年始など、郵便事情が悪いときの郵便物発送でも同じことなので、気をつけねばなりません。

2008年10月07日

ひび割れ道路のことの補足

弁護士は、守秘義務というものに縛られているので、何でもブログに書いて良いということにはなりません。守秘義務があるからこそ、お客さんは信頼して秘密にしているようなことを話してくれるわけですし、お客さんから何でも話してもらうようになっていなければ、訴訟などで思わぬ反撃を受けたりすることもありますから、守秘義務を守るということは、弁護士にとって、最も重要なことなのです。
ところで、今回のブログの標題のひび割れ道路のことは、最近、当事務所で自己破産申立を受任した三原組がなぜ倒産に至ったのかということを調べていく中で知ったことです。この会社は、舗装道路の工事を主な業務としている会社だったのですが、この道路の舗装のための工事が減って、倒産に至ったわけです。一部の新聞記事では、建築基準法改正が原因となったような紹介をされていましたが、不正確な報道だと思います。
もし、この会社が民事再生をしていたら、私はひび割れ道路のことは、ブログには書かなかったと思います。今後も、この会社が営業を続けてゆくにあたっての主な顧客である自治体に対する不服を漏らしているような話になるからです。破産ということで、事業を継続しないということと、同社の主な破産原因が同社内部ではなく外部要因にあることを示すものであること、あまり世間に知られていないが、交通の安全が危機にさらされているという点で公表の必要性がかなり高いと考えたことから、あえてブログで取り上げたような次第です。
従って、上記のひび割れ道路のことは、弁護士としての経験からもの申しているわけですが、実際幹線道路でない生活道路については、ガス管とか水道管などの工事の跡だらけで、デコボコ道が多くなってきているように感じます。問題が深刻なのは、主要な幹線道路ですら、ひび割れがでてきているということです。ひび割れは道路下への雨水の不均等な浸透をもたらしますが、それが道路の陥没などにつながらないとも限らないように思います。急激な陥没でもあれば、重大な事故が発生する危険性もあるわけですから、道路のことについては、地道な補修作業の予算についても少し考え直す必要があるように思います。

2008年10月09日

ロースクールを淘汰すればそれでいいのでしょうか

ロースクールを淘汰する必要性について、新聞各社で社説がでています。

読売新聞の社説では、ローの乱立解消は避けて通れないとの標題で、最後は、3000人は堅持する必要があるとして、「合格者が増えないままでは、有能な人材が法曹界に進むのを敬遠するようになる。そうなれば、学生の質の維持は一層、困難になる。」としています。しかし、今の新司法試験の最大の問題は、合格したからといって就職ができるとは限らない状態にあることをあえて無視しているように思います。司法試験を受けるということは、仕事として法曹の道を歩むという進路選択をするわけですから、合格しても職がないような資格を得るだけでは、学生は進路選択として司法試験は受験しないと思います。合格さえさせればいいのだということであれば、一部のロースクールの経営者の味方をしているだけで、極めて無責任だと思います。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20081005-OYT1T00668.htm

これに対し、日経新聞は、そこまで意図的な無視はしていないようですが、「法曹増員のペースダウンを主張する日本弁護士連合会は、その理由のひとつに新司法試験合格者の「質」を挙げている。しかし法科大学院が本来の姿を取り戻せば優秀な人材が集まりやすくなり「質」と「量」の両立も可能になるだろう。」として、これも、ロースクールの乱立さえなくなれば未来があるかのごとき主張になっています。しかし、最大の問題は、需給のアンバランスです。合格者数に見合うだけの社会的需要がついてきていない現状を前提としない限り、合格したけれども職があるとは限らないという状態が続くことになります。そうなると、有能な人材が、法曹界に参入しようとしなくなってしまいます。医学界では、医師国家試験に合格したけれども医師の職にはありつけないという事態は生じていないと思いますが、弁護士は単なる資格試験でいいから就職がなくても構わないということでいいのでしょうか。私は、経験上、弁護士はオンザジョブトレーニングが大事で、先輩の指導を受けながら仕事をしないと、利用者に迷惑をかけることが多くなると思っています。それが不要かのごとき机上の政策論で法曹人口論を語ることはやめていただきたいと思います。

http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20081004AS1
K0300603102008.html

2008年10月10日

高さ規制による圧迫感のある町並の形成の事例

景観保護=高さ規制という考えは、偏っているというのが、私の持論です。
私は、京都市のいわゆる新景観政策に対するパブコメの中で、以下の指摘をさせていただきました。

「容積率が変化しないことをもって、規制がそれほどのものではないかのごとく、京都市は主張しているようであるが、高さが規制される以上、地下の利用ぐらいしか考えられないところ、採光の関係で、建築できる地下空間には建築基準法上の限界がある上、そもそも地下は居住空間としてはあまり好ましいものではないし、コストの点から考えても建築者に著しい負担を強いることとなるから、地下空間の利用が大きく増えることなどあり得ない。結果的に、高さ規制に応じた中低層の住宅しか建築できず、容積率いっぱいの建物は事実上建築できなくなることは明らかである。
 そして、都市部への人口集中の需要が現状のままで土地価格も高くはならないとすると、都市部における中低層のマンションの需要は高まるため、低層建物が建っている地域で広い土地を確保して、中低層マンションを建築する動きが強まり、結果的に、現存している京町家を含めて低層建物がほとんどなくなり、空間の余裕が失われ、居住空間としては環境が低下する危険性が高い。」

以上の指摘は、いわば予言です。つまり、高さが規制される結果、横に目一杯の建物が建築されることを誘導することになるから、結果的に、路上にいる人の目線からみると、空間の余裕がないと感じてしまうということになってくるわけです。
この点、下記の読売新聞の記事によれば、西宮市では、高さ規制の結果、横長マンションが増えて、圧迫感があるなどの不満の声がでてきて、横長マンションも規制するということになりつつあるようです。阪神大震災の結果、新しい建物が沢山建築されたということがもたらした変化なのですが、京都市にも次第に同様な傾向が生じてくる可能性があるということが実証されたように思います。

http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20081009-OYO1T00228.htm

上記の記事によると、規制だけが行われそうな雰囲気ですが、私は、西宮市が単なる規制強化だけに終わらずに、好ましい景観形成が誘導できるようなメリハリのある規制を考えられることに期待しています。規制強化だけだと、その規制の範囲内でどうするかということだけに関心が集中してしまいますから、好ましい景観の誘導にはつながりませんし、不動産の資産価値も下がって、地元の建築関係者にも大きな打撃を与えるなど、市民生活にも影響がでてしまいます。京都市のような乱暴な手法は採用されない方がよろしいかと思います。

2008年10月14日

空き家率の高い地域が発生していることをどう考えるか

10月13日の京都新聞の22面によると、東山区は、空き家率が高い地域ということのようです。このことは、統計調査から裏付けられてもいるようです。空き家の中には老朽化が進んでいるところも多いとのことであり、「倒れるときのことを考えると、怖くてたまらない。」との声もあるとのことです。
このような空き家の増加について、建替が難しいことが指摘されていて、京都市もそのことを認めているようです。
http://www.city.kyoto.lg.jp/higasiyama/cmsfiles/contents/0000020/20120/akiya.pdf
東山区は、歴史的な建物も多いし、町並みそのものが観光資源となっていることから、都市環境形成のための政策立案には難しい問題があることは間違いないのですが、私は、このような事態が生じている原因は、この町並みそのものに遠因があるように思います。つまり、隣地境界ぎりぎりに建築された木造家屋がうなぎの寝床のような細長い敷地に建築されているという現状です。私は、火災の際の類焼の危険性の高い木造家屋を隣地ぎりぎりに建築するということは、本来許されるべきではないと思っています。阪神大震災のような地震に伴う火災の発生などの場合には、大きな被害が発生することが予想されるからです。加えて、東山区の場合、路地を通じないと建物にたどり着けないところも多いわけですが、このような建物は、現状の建築基準法では、間口制限などにひっかかって再建築ができない場合がほとんどということになりますし、狭い敷地で隣地から距離をとるとなると、細長くて住居としては使いにくい建物しか建たないということもあって、空き家が増える現象を生じさせているのではないかと思うのです。
逆転の発想ですが、私は、このような状況の打破には、細長い敷地をいくつかまとめて広い敷地とした場合には、建築制限を一部緩和することにして、建替を促進するようにした方がいいのではないかと思います。これは、京都市の新景観政策に反対する運動の中で出会った人の言葉から得た発想です。すなわち、「土地も高くなってきたら、固定資産税も高くなって、土地を売ってでていかないかんようになるけど、私ら、この町が好きなんやから、みんなで住めるように、土地をまとめて共同してマンション建てるようにしたんや。」という言葉です。都市が都市として発展していく中で、高層化が進行していくということは、どんな都市でもみられることです。そんな中で、その都市に住み続けるとすれば、土地を互いに提供してマンションを建築するということは、住民としての一つの知恵です。実際、祇園祭の担い手として、マンション住民は重要な役割を果たすようになってきているなど、京都の都市としての発展は、マンションを抜きにしては考えることができませんし、古くからの住民と新しい住民との交流の中で新たな京都が作られつつあるのです。
なお、この方は、「大文字のときは周りの人をお呼びしたりしてますんや。」ということも言われていました。私自身も、前の事務所の大家さんのビルでの屋上パーティーに招かれたりしていますし、他にも同様のことをやっている人を知っていますから、高い建物を建てた人が周囲を気遣うというのは、京都人の中にはよくみられることだと思います。そんな地道なことから、古い町並みと新しい建物との調和が作り出されていっているのが京都なのです。京都市という自治体が上から規制だけを押しつける手法は余りにも乱暴ですし、その政策が、上記のような空き家の増加という現象を食い止めることにはつながっていないことは、私には皮肉なように感じます。
しつこいようですが、建築規制を強化すれば良好な景観や都市環境が形成されるというのは、偏った考えであると私は思います。建物の新陳代謝も促す政策を住民の総意で作り出す必要があるのです。

2008年10月16日

やはり一般市民が被害者となりつつある景観政策

京都市の景観政策が、京都市内の建築に重大な悪影響を与えているという客観的なデータがでてきていることについては、以前にエントリーしたとおりですが、建築コストの増大と建物が完成するまでにかかる時間がやたらに長くなっていることが、市民に経済的な打撃を与えているということが実感されるようになってきているようです。本日のアサヒ新聞の夕刊では、「京都市「新景観政策」に不動産・建設業界から悲鳴」という題の記事が掲載されています。
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK200810160058.html
この記事には、なぜ屋根が灰色だとだめなのかと言われている主婦の方の声が載せられています。私は、このような過度の規制は、京都市というお上による表現の自由の侵害ではないかと思います。京都市内にスペイン風の建物を建築しても本来自由だと思いますし、赤煉瓦の屋根の建物なんて、すてきではないかと思います。しかも、このような規制が原因となって建築に時間がかかるということは、金利負担や工事中の代替住宅の賃料等の負担が増大しますし、特殊な建材が必要となれば、建築コストも増大することになりますから、この規制は市民の経済的利益の侵害という側面も持っています。この記事では、規制がなければ300万円でできた補修が1200万円にふくらんで断念された方の例も紹介されています。こうなると、空き家とか、倒壊寸前の建物の増大を招くこととなり、景観も悪くなるどころか、危険な町並みを作り出すことになります。
この記事では、08年の新設住宅着工戸数が前年の約半分となったということも紹介していますが、これは、地元の建設業界が死活的な問題に直面していることを意味しています。
京都市は、倒産に追い込まれた人や資産が大幅に目減りしたような人に対して、きちんとした補償を行うなどして責任をとるべきでしょうが、この記事によると、景観が整って京都の価値が高まれば、経済が活性化するなどと言っているようですから、全く責任を感じていないようです。しかし、そんな景観が整うはずもなく、景観が形成される前に町全体の老朽化が急速に進行することは必至ですし、奇跡的に京都市の言うような整った景観ができたとしても、それは50年以上先のことでしょう。その頃に、今現在生きている京都市民のほとんどはこの世にいないということになるはずです。一体誰のための政策なのでしょうか。京都市はもっと謙虚に被害者の声を聞くべきだと思います。

2008年10月20日

気になる裁判官の癖など

裁判官は、法廷の主催者なので、あまり裁判官に意見をもの申す人はいません。弁護士もしかりであって、苦情を言う弁護士は少ないと思います。裁判への影響を考えるためです。しかし、弁護士しか裁判官に面と向かって文句を言える立場にある人間はいないわけですから、私は、たまには抗議をしたりします。ただ、国家権力の行使者に対して、弁護士としてやれることは限られています。どんなことをしたかは、ブログなどで公表するものではないので、ここでは差し控えさせていただきます。でも、そんな伝家の宝刀を抜くようなような事態はまれですから、大抵の裁判官は、多少変なことをしていても、弁護士からスルーされているわけです。
最近、私が気になっているのは、あごに手をあててしゃべる裁判官が増えてきていることです。法廷の裁判官席は、高いところにありますから、裁判官は、上から当事者を見下げているわけですが、その裁判官があごに手をあてながらしゃべってくるとなると、素人である当事者はあまり良い印象を持たないのではないかと思います。実際、ある若手の裁判官は、ひじをついて手であごをなでながら証人を尋問する癖があり、あれでは尋問を受けている証人は、かなり気分を害するのではないかと思ったりしたことがあります。丁寧に記録を読んでおられる裁判官でしたし、尋問の内容もおかしなものではなかったのですが、弁護士としてはクレームはいいにくいので、そのままにしてしまいました。どこかでトラブルにならなければいいのですが。
また、いつもニコニコしている裁判官もおられますが、ニコニコしながらきついことを言われると、人の不幸を楽しんでいるのではないかと感じることがあります。きついことは、にやつかずに話して欲しいと思います。実際、私が不快に思った裁判官は、きつい判決を書く人でした。死産に関わる事件で結果論だと書かれたのですが、結果論と言う言葉を書くのであれば裁判官など不要だと言いたくもなりました。当事者は、結果をみて納得できないから裁判を申し立てているわけですが、その心情を全く理解できていない心の通わない判決の典型だったなと思っています。
語尾がはっきりしない裁判官も困りものです。弁護士相手ならまだ推測で理解できるところはありますが、素人相手にもごもご話されている裁判官をみると、この裁判官は今後ちゃんとやっていけるのだろうかと思ったりすることがあります。
癖とは言えないけど、ひどいのは尋問途中で眠ってしまう裁判官です。私は、寝ているのを発見して、裁判官席に近づいて尋問したことがあります。その裁判官は、陳述書という証人調に代わる書類の提出を認めず、自分の目の前で調べたものしか証拠としては認めない裁判官だったので、私としては、怒り心頭に発する思いでした。
いずれにしても、裁判官の癖のようなもので目につくものについては、小さな段階で当該裁判官が気づいてもらえるような制度が必要なように思います。トラブルとなった後では遅いと思うのです。これを裁判官の独立を維持しながらどう実現するのかということは難しい問題です。裁判官を上から抑えつけるのは自由な社会の危機につながりますので。

2008年10月23日

神社の老朽化

京都は、寺社仏閣が多い街ですが、私には、神社の老朽化が目立ってきているように思えます。
著明な寺院は、拝観料をもらわれているところが多いため、お庭の手入れなども行き届いていますが、神社では、著明なところでも拝観料をもらわれているところはないので、お賽銭やご祈祷、建築の安全祈願祭などからの収入に頼られていることになります。このため、著明とは言えないような神社は厳しい経営を強いられていることになっているのではないかと思います。
神社は、そのほとんどが重厚な瓦屋根で、建物の自重、特に屋根部分の重さが大きい上、壁が少なくて柱だけで建物を支える構造になっているものが多いため、老朽化が進行すると、建物の崩壊の危険性が高まることになります。
これは、おそらく、京都だけの問題ではなく、全国的な問題なのだろうと思います。特に過疎地域では、信者の減少もあるはずですから、余計に厳しい経営を強いられているのではないかと思います。先日、私が佐賀県の田舎に帰省したときに、地域の神社に立ち寄ったのですが、参拝客もおられず、寂れているような印象を受けました。小さい頃のお祭りの思い出を考えると、昔日の感があり、寂しい思いをしました。
各地の神社には、地域の信仰を支えてきた貴重な歴史的文化財も多いはずですから、神社建築の保護のため、国や公共団体からの支援も含めた議論が必要な時期に来ているように思います。