【ブログ:白浜の思いつき】京都で弁護士・法律相談ならお任せください

弁護士法人 白浜法律事務所

0752233444
0752233444
白浜の思いつき
白浜の思いつき

2008/10/03

色覚バリアフリーのこと

白浜徹朗でググると、阪急電鉄のことがでてくるようです。赤と緑の時刻表表示が色覚障害者にはみえにくいということで人権調整の申立を行ったということが話題になったためです。この申立は、色覚バリアフリーという考えに立脚したものです。10月3日には、京都地方法務局の記者会見が行われたということで、新聞記事にもなりそうですから、おそらく、この問題に関心を持って当事務所のHPを訪問される方も多いと思いますから、色覚バリアフリーについて、お話しさせていただきます。
 色覚バリアフリーという考えは、最近では話題となることが多くなりました。これは、要するに、色覚障害者にもわかりやすい色別表示を広げようとする運動ということができます。色覚障害にもいくつかの種類があるのですが、最も多い色覚障害は、赤と緑の色の区別がつきにくいという色覚障害です。この赤緑の色覚障害者は、黄色人種の場合は男性では20人に1人いるという割合になります。つまり、日本の40人学級だとクラスに1人いるということが多いということになります。この問題がなぜ注目を集めるようになったのかということですが、端的に言って、色を使った表現が飛躍的に増える社会になってきたためだということができると思います。昔は、文字も、墨やインクによる白黒での表現が主流でした。しかし、今や、一般家庭ですら、カラープリンタによる印刷が可能な社会となっています。テレビが白黒であった時代ははるかの昔のことで、今やハイビジョンの時代です。このため、色を使ったプレゼンが広く使われるようになっています。これは、視覚に訴えてわかりやすい表現を実現しています。ところが、このように色を使ったプレゼンが色覚障害者に配慮なしに行われますと、色覚障害者にはかえってわかりにくいものとなってしまいます。教科書でよく使われるグラフとか、地図の色分けなどがわかりにくいのは切実な問題となりますし、地下鉄の路線図などに配慮がないと色覚障害者としては本当に困るのです。そこで、色覚障害者にもわかりやすい表現はどうあるべきかということで、色覚バリアフリーという考えがでてきたわけです。
 実は、日本は、極めて強固な色覚障害者差別が形成されてしまった異常な国です。色覚障害を発見するための検査表は、日本で考案されたものです。徴兵検査などにも使われたようです。この検査表を使って、色覚障害者を早期に発見するようにされただけでなく、大学などの進学でも差別をして入学させなかったり、就職で差別したりすることが当然のように行われてきました。色覚障害は、遺伝によるものなので、結婚差別にもつながることがありました。実際、私も、理系への進学をあきらめて法学部に入学した人間の1人です。相手が色覚障害者だったから婚約を破棄したという話に触れたこともあります。
 しかし、そもそも色覚障害があったとしても、あえて赤と緑を使った区別に接しない限り、日常生活で不便を感じることはほとんどありません。赤と緑の区別も全くできないというわけではありませんし、ましてや白黒の世界がみえているわけではないのです。このため、今では、進学差別はほとんどなくなり、就職差別も、特殊な業種を除いてなくなっています。小学校で広く行われていた色覚検査も行われなくなっています。学校での色覚障害者への配慮については、旧文部省が策定した「色覚問題に関する指導の手引き」があります。就職差別の禁止については、厚労省が策定した下記通達があります。
 http://www.nig.ac.jp/color/monbushou_tebiki_1.html  (指導の手引)
 http://www.jil.go.jp/kisya/kijun/20010622_01_ki/
   20010622_01_ki.html (就職差別禁止の通達)
 ただ、周囲の人にはなかなか理解を得られないこともあるので、色覚障害者の多くは、自分が色覚障害者であることを知られたくないということで、不便を感じても黙っていることが多いように思います。ところが、赤と緑は、光の三原色の一つですから、赤と緑を使った区別は、広く使われているため、ちょっとした配慮不足で困る場面もでてくることが多くなります。例えば、テレビの色ボタンでも赤と緑が使われています。最初は、色覚バリアフリーには全く配慮が欠けていたのですが、私は、この問題について電波産業会がどう考えているのか照会をしたことがあります。この照会の後、規格が改善ざれ、色調に配慮したものが使用されるようになるとともに、リモコンには漢字による表記が付加されるようになっています。東京メトロの路線図も大幅に改善されていて、円のマークの中にMなどのアルファベットが付加されるようになったり、駅番号がつけられるようになっているのも、色覚障害者への配慮です。
 公共交通機関については、平成18年6月には、高齢者・障害者等の移動円滑化の促進に関する法律、すなわちいわゆるバリアフリー新法が公布されて、同年12月には施行され、これを受けて、平成19年7月には、国土交通省によってバリアフリー整備ガイドラインが策定されています。この中で、公共交通機関の旅客施設における表示は、「色覚障害者に配慮し、見分けやすい色の組み合わせを用いて、表示要素毎の明度差・彩度差を確保した表示とする」ことが求められているわけです。私の申入は、このガイドラインを徹底して欲しいというものということになるわけです。
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/01/010726_2/01.pdf
 今回の阪急電鉄への申入で、関西私鉄の中でも研究が行われるようになったということで、阪急電鉄としても改善を行うということですから、色覚バリアフリーの動きがさらに広がることになりました。ちょっとした改善で全く不便を感じなくなることがありますので、この色覚バリアフリーの考えが社会に広く浸透してゆけばいいなと思っています。

2008/10/01

景観について考えてみる

景観問題で、赤と白の壁面でデザインされた楳図かずお氏の自宅をめぐる訴訟が話題となっている。赤白の色調は、日本で古くから存在する色調と思うのだが、景観を害していると主張する人もいるらしい。表現の自由と景観の調和という難しい問題だが、実物の写真をネットでみた限り、割と簡単に決着がつくのではないかと思う。
この点、京都では、景観問題と言うと、イコール高さ規制、という極めて偏った議論が続いている。個人的には、高さを規制するよりも、道路幅を広げたり、公開空地を広げたりして、水平面の視野を広げた方が開放感のある町並みになると私は思っているのであるが、そんな縦か横かという問題よりも、朽ち果てたような家屋があちこちに放置されているということの方が景観上も問題である。実際、建築規制の厳しい京都御所の近辺では、あちこちに危険な木造家屋を発見することができる。この放置の方が景観保護という観点からは、問題である。もちろん、景観保護以前の問題として、危険であるということは言うまでもない。
老朽化した危険な家屋が放置される原因の一つに「朽廃」という法律解釈の問題があるということは、私が何度も指摘していることであり、その解釈論の変更を裁判所に頼っていては遅すぎるということも、何度か指摘させてもらっていることである。
経済政策的にも、このような危険家屋の建替を促進することは内需拡大に役立つし、高齢化社会の到来に備えて住宅のバリアフリー化を推進することにも役立つと思うのだが、いかがであろう。

2008/09/29

共立工機が注目されています

和議債権を完全履行したおそらく最後の企業となるであろうということで、私の事務所のホームページで紹介している共立工機が、日本一明るい経済新聞で取り上げられたそうです。
http://www.seiwabs.co.jp/akaruibn/keizai/sb_865.html
同社のすごいところは、然したるスポンサーもなく、誠意と熱意で再建に成功しているところです。なぜ、このことがすごいかがわかりにくいかも知れませんので、少し説明させてもらいます。通常の企業は、自己資金だけで資金繰が完全にできるところは少なくて、資金繰のためには金融機関から融資を得たりしながら経営しているわけですが、和議、今で言う民事再生をした場合には、金融機関からの融資が得られないため、資金繰を自社の売上管理だけで行わなければならなくなります。企業というものは、予想もしない資金需要が生じたりすることがありますし、ましてや再建中の企業の場合、色々な問題が生じやすいので、再建途中で資金ショートすることはよくあります。このため、スポンサーなしの再建は本当に難しいのです。私としては、そのようなスポンサーなしで再建に成功した共立工機はすごい企業だと思うわけです。
弁護士は、民事再生など、企業再建のための法的手続を支援しますが、いかに弁護士が法的な手続を提供したとしても、その企業自身が再建しようと努力しない限り、企業再生は困難です。共立工機についても、私は、和議という手続をしただけのことで、再建は、共立工機という企業体、つまり、社長を中心とした従業員の皆様の努力や取引先、債権者の皆様方のご協力があったからこそ、実現することができたわけです。このことも私が共立工機をすごい企業だと思う理由の一つです。
なお、経理等が不透明な企業が多い中、共立工機は、裁判所が関与して経理面が債権者等にオープンにされて、再建途中でも金融機関に全てを開示しながらやってきた企業ですから、金融機関からの信頼感は以前にも増して高まっています。和議の後、落ちた信用を回復するべく、地道に再建に努力した結果がようやく実を結んできたわけで、その結果を上記のように取り上げていただいていることは、本当に喜ばしいことだと思います。
私としても、共立工機の再建のような奇跡に携わることができたことは、本当にうれしいことだと思います。今後も、そんなお手伝いができたらと思って、民事再生などの企業再建の手続について、知識と経験を深めるべく、がんばっています。

2008/09/27

非弁問題の本質は消費者問題

先日、非弁事件の刑事公判を傍聴してきて、感じるところがありました。
この事件は、過払金回収の非弁事件です。過払金回収は、既にマニュアル化しているところがありますから、非弁がやりやすい案件でしょう。ところが、そんな事件で、非弁は、4割の報酬を取ったりしています。本来、弁護士に依頼すれば、弁護士が法廷で対応することができるはずなのに、それができないばかりか、直接に裁判官や相手方からの問い合わせに応じなければなりません。正当な主張も可能なものができなかったりするわけですから、実質的な被害を被るのは非弁の依頼者です。知識のない人が被害に遭うという意味では非弁問題は本質的には消費者問題だと思います。弁護士という法的なトレーニングを受けた職業人によって、法的主張が戦わされる中で、新たな判例が生まれたり、その判例から新たな法律が生まれたりするわけですから、法廷代理について、弁護士に独占させている社会的意義には重いものがあります。
この点、裁判所からの問い合わせや相手方からの攻撃に裁判所や法廷で直接に対応を強いられるという点では、司法書士が書面を作成した場合でも同じですから、地裁事件を司法書士が処理するのは、まさに非弁であると私はとらえています。
上記の刑事事件では、被害弁償すら行われないまま、次回は判決ということになってしまいました。非弁がなぜいけないのか、被告人の口からも、具体的な反省の弁は聞かれませんでした。弁護人ですら、どこまで考えて弁護されていたのか、疑問なところがありました。
非弁の横行で被害を被るのは、裁判の利用者たる国民であるということは、決して軽視されるべきではないと思います。裁判所は、地裁事件で、司法書士事務所を訴訟書類の送達場所とするような申出についても、不利益を被ることを自ら認めているわけであるからと、これを黙認する姿勢を採っているところが多いようですが、本当にそれでいいのだろうかと思います。